陽気でなければ闘いつづけられない

気候変動

■本書の概要

古川日出男さんの「ゼロエフ」を読みました。本書は、福島県出身の筆者による福島・宮城の現地報告(ルポルタージュ)です。

2020年に予定されていた東京オリンピック開催時期に合わせて、筆者が福島・宮城を歩き、感じ考えたことを記した「日記」です。

■感想

本書は、様々な問いを投げかけてくる一冊です。
問いとは例えば、
「歴史とは何か?」
「国家とは?」
「死とは?」
「復興とは?」
といったものです。
何か模範的な答えを与えてくれるような本ではありません。

■誰におすすめか

「震災」「復興」が気になっている人におすすめの1冊です。

■タイトルの「ゼロエフ」は何を指しているのか?

本書のタイトル「ゼロエフ」は、
「ゼロエフという言葉からあなたが連想するものは何か?」
という問いかけです。

福島第一原発、別名「イチエフ」の敷地は、太平洋戦争中は陸軍の飛行場でした。「イチエフ」になる前の場所を「ゼロエフ」と考えるなら、「ゼロエフ」はただの飛行場です。

また、「原子爆弾で始まった戦後社会にとって、原子力とは超越的な存在に他ならない。」とも筆者は記しています。
原子力発電全体を「イチエフ」とするなら、「ゼロエフ」は原子爆弾とも言えます。

他にも、筆者は旅の同行者としてモニタリングポスト(*)の形をした「ゼロエフ」という人物(というか機械のようなもの)を文中に登場させています。

* モニタリングポストとは、空間の放射線量を測るための機器。
(参考)
福島県 環境放射能監視テレメータシステム|モニタリングポスト

筆者は何種類もの「ゼロエフ」の可能性を提示していますが、明確な答えは示していません。「自分で考えてほしい」というメッセージのように、私は感じました。

私は、「ゼロエフ」とは死、未来、あきらめの象徴と理解しました。

死は過去であり未来です。
私たちが未来を予測するとき、過去と現在の延長線上に未来を描く傾向があります。その予測は当たらない場合も多いですが、過去を軽視・無視することは死者への冒涜とも言えます。
そうは言っても、過去の全ての災害を教訓にできるはずもありません。
時には「あきらめること」も必要です。「諦観(*)」という言葉は、災害・戦争と切り離せないものです。

* 諦観とは、
1 本質をはっきりと見きわめること。諦視。「世の推移を諦観する」
2 あきらめ、悟って超然とすること。「諦観の境地」
デジタル大辞泉より

■陽気でなければ闘いつづけられない

ところで、人には「忘れっぽい」という性質も備わっています。
「忘れる」という言葉には、「意識的に思い出さないようにする。すべきことをしないでいる。」という意味があり、「あきらめる」とどこか似ています。
過去のあらゆる悲劇も乗り越え、どんな状況でも笑っていられるような楽観性こそが、社会の原動力とも言えます。

陽気でなければ闘いつづけられない。

ゼロエフより

2021年現在の水素エネルギーへの期待は、20世紀の原子力への期待とよく似ています。どんな技術やエネルギーにもリスクはあります。福島第1原発の事故を教訓に、より安全なエネルギーシステムを構築していくことが、今を生きる私たちの課題です。

※アイキャッチ画像:Markus DistelrathによるPixabayからの画像

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