◼️京都に行こうと思ったきっかけ
「京都行こう」と思いたったのは、「応仁の乱」がきっかけです。興福寺や御霊(ごりょう)神社などの聖地を巡礼したかったのです。
年次有休義務化の圧力により、私の職場では有給が取りやすくなっていました。社会情勢により外国人観光客は激減しており、季節的要因により国内観光客も減少していました。
行けるときに行っておかなければと思い、万全の対策をして出かけることにしました。
今回の旅では京都・奈良・和歌山の3つの府県を制覇しようと考えました。
できれば各県に1泊ずつしたかったのですが、効率を重視して京都に3泊することにしました。
◼️奈良を訪問
1日目は奈良を観光します。
建設会社の奥村組が作った「奥村記念館」の入り口に、せんとくんがいました。
奈良市街を一望できる若草山にのぼります。
奈良市観光協会発行の情報誌「ならり」を読んで、若草山の存在を知りました。若草山がのっぺりしている理由は、若草山焼きという行事を毎年やっているからだそうです。
かなりの距離をのぼったので、けっこう足に来ました。翌日は筋肉痛でした。
応仁の乱の関係者の一人、経覚(きょうがく)ゆかりの興福寺を訪問しました。興福寺はシカせんべいで有名な奈良公園の中にあります。中学校時代に修学旅行で奈良公園を訪問したはずですが、まったく記憶にありません。おかしいな。
興福寺の敷地は空き地が目立ちます。戦乱や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によってほとんどの寺院が焼けて落ちてしまったためです。かつては奈良一帯を支配したという興福寺の権勢は、もはや見る影もありません。
※廃仏毀釈とは、明治時代初期に起きた仏教排斥運動。
参考:コトバンク
前述の「ならり」紙面上での八嶋智人さんのインタビューが印象的だったので、引用させてもらいます。
僕にとっての奈良市の思い出は、例えば通学路とかで。自転車に乗って、転害門、奈良県庁、興福寺、春日大社、奈良ホテルを抜けて登校。帰りは元興寺や東向商店街。浮見堂にちょっと寄り道したりして。どこも当たり前に、ただそこにあったんです。
浮見堂(うきみどう)は、鷺池(さぎいけ)に浮かぶ屋根のあるお堂です。地元の学生カップルに人気のデートスポットなのかもしれません。
どんな観光地でも、街角では若い人たちの青春や、おっちゃん・おばちゃんたちの日常生活が営まれているんですね。しみじみ。
ふたたび、八嶋さんのインタビューから引用です。
締めくくりは、やっぱり二月堂。あの場所から眺める奈良の町と来たらもう。とくに夕焼けに染まった様子は、これからも何度でも観たい特別な風景です。
興福寺とは対照的に、東大寺敷地内には建物がひしめき合っています。「興福寺も昔はこんな感じだったのかな?」と思いながら、通り抜けました。
宿から奈良までは「奈良・斑鳩1dayチケット」を使って移動しました。
・京都市営地下鉄
・京都~奈良の間の近鉄線
・奈良市内のバス
全て乗り放題で1,700円と、かなりお得な切符でした。
2日目に続きます。