近畿旅行3日目 – 応仁の乱・聖地巡礼

今回の旅の本来の目的である「応仁の乱・聖地巡礼」を、3日目にしてやっと開始します(遅い)。

その前に、観光地らしいところ(清水寺、金閣寺など)にも寄ってみました。

■清水寺

2020年の漢字「密」
清水寺

清水寺周辺はそこそこにぎわっていましたが、ソーシャル・ディスタンスは充分に確保できました。

■応仁の乱・聖地巡礼スタート

御霊神社(ごりょうじんじゃ)

応仁の乱・始まりの場所「御霊神社」を訪問しました。滞在時間は30分ほどでしたが、私の他に参詣客は2人くらいでした。

境内は静寂が支配していました。約600年前の壮絶な光景を想像するのは難しいですが、人間の暴力性について考え込んでしまいました。

相国寺(しょうこくじ)本堂

御霊神社から南方向に歩き、相国寺に移動しました。応仁の乱の中で最も激しい戦いだったと言われている「相国寺の戦い」の舞台です。死者への追悼の念を抱きつつ境内を散歩しました。

山名宋全邸跡

相国寺から上立売通りを西に向かい、同志社大学を横目に見ながら突き進んでいきます。鞍馬街道という大通りを渡ってすぐのところに、西軍の実質的大将であった山名宋全(やまなそうぜん)の邸宅跡があります。

マンションになってる

跡地には、ふつうにマンションが建っていました。東軍の大将・細川勝元の邸宅跡地も個人宅に変貌していました。盛者必衰です。

この次は、市バスに乗って細川勝元の墓がある龍安寺(りょうあんじ)へ向かいました。

龍安寺 入口
龍安寺 石庭

龍安寺内にある細川勝元の墓は、一般公開していないとのことでした。残念。

■おばんざい

京都駅地下街の「味彩や」の豆腐定食1,320円

■聖地巡礼・午後の部

応仁の乱の渦中でも燃やされずに済んだ大法恩寺(千本釈迦堂)を訪問しました。

大法恩寺(千本釈迦堂)
博物館「霊宝殿」

大法恩寺は建物内の撮影は禁止です。外観だけ撮影しました。霊宝殿の中には千手観音像などの国宝級の彫刻がズラっと並んでいます。意外とよかったです。

大法恩寺内の柱には応仁の乱のときの刀傷が残っているという逸話があります。実際に見てみましたが、よくわかりませんでした。そもそも、東軍・西軍両方から保護されていたお寺の中で、刀を振り回すはずがないし、わざわざ柱を切りつける必要などないと思うのですが。

■番外編:学業成就を祈願する

北野天満宮

来年も資格試験を受ける予定なので、学問の神様にご挨拶しておきました。

4日目に続きます。

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