40歳になって「足るを知ると幸福度が上がる」と感じた

健康

「40歳を過ぎて、死を感じるようになった」と言っている知人がいました。
私は「死」を感じたことはあまりないですが、限界は感じるようになりました。

◼️40歳という限界

実際、40歳という年齢はインパクトに欠ける節目です。
20歳は、子どもと大人の境目。
30歳は、中年への入口。
40歳は?
ダブル成人式?なんとも楽しくなさそうなイベントです。
四十肩?あまりなりたくないし。

個人的には、40歳を過ぎたあたりから、
・健康診断の結果が悪くなってきた。
・夜ふかしできなくなってきた。
・「努力すれば夢は叶う!」「無限の可能性!」のような熱血ポジティブワードが苦手になってきた。
上記のような変化がありました。

かなり前に読んだ本ですが、「中年男ルネッサンス(著: 田中俊之・山田ルイ53世)」という本には大いに共感しました。

・(40歳は)いい意味でも悪い意味でも、いろんな可能性を潰しきって、すでに決着がついてしまっている年齢
・若い子から見たらおじさんは基本キモいもの、くらいの謙虚さを持っておくべき
・自分で自分をあきらめてあげる、ということが、おじさんが生きていく上では大事
・とりあえず目の前のやれることを一生懸命やる、あとは気にしないこと
・現実は直視するには過酷すぎて、太陽を肉眼で見るぐらい危険な行為なのかもしれない

切ないが的確な描写です。

◼️足るを知る

私にとって40歳は「足るを知った」年齢だったと思います。

「足るを知る」とは、仏教においては「欲張るな」ということ。老子の哲学においては「謙虚であれ」ということです。

足るを知れば辱められず。
「控えめにしていれば、辱めを受けない。とどまることを心得ていれば、危険はない。いつも安らかに暮らすことができる。」という意味。
「新釈 老子 」著:守屋 洋より

「M資金」で30億円騙し取られた人の話を読みましたが、「30億も持ってたらもう増やす必要ないのでは?」と思ってしまいます。

気候変動問題とか1.5℃目標とか解決できたらいいなとは思いますが、自分の手に余る規模の問題を心配してもストレスがたまるだけです。

◼️死亡フラグっぽい気持ち

自己紹介記事にも書きましたが、私は以前はITエンジニアの仕事をしていました。しかし、「この仕事は未来に役立っているのだろうか?」という疑問を感じるようになってしまい、全く別の分野に転職しました。

私の現職では、将来世代に貢献している感触があります。不安定な時期にも私を見捨てないでいてくれたパートナーと家族になることもできました。

家族にも健康にも仕事にも恵まれて、これ以上何を望む?」という死亡フラグみたいな気持ちになってきたのも、40歳あたりからです。

◼️40歳は理想と現実の均衡点

理想と現実の均衡点

40歳という年齢は、理想がジワジワと下がってきて、現実に軟着陸する時期なのかもしれません。

もし20代の自分に会えるとしたら、
そんなに心配しなくても大丈夫。おっさんになってからも人生は結構楽しいぞ。
と言ってやりたいものです。

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